2006年度作品。日本映画。
都内の会社に勤めるOLの遠藤京子は幼い頃から周囲に馴染むことなく孤独な日々を送ってきた。そんなある日、テレビから流れてくる一家惨殺事件の犯人逮捕のニュースに映し出された坂口秋生の笑顔に直感的に自分と同じ孤独と絶望感を見いだし、急速に犯人坂口に惹かれていく。
監督は「ありがとう」の万田邦敏。
出演は「恋愛寫眞」の小池栄子。「八つ墓村」の豊川悦司 ら。
この映画を見ていると、附属池田小の事件よりも時期的な関係か、秋葉原の通り魔事件を思い出してしまう。
もちろん事件の状況や主人公を取り巻く環境はまったく異なるけれど、いくつかの面では共通する部分がある。僕が見た共通点は孤独に対する感覚と、社会の下層にいるという意識だ。
小池栄子演じる主人公は要領よく立ち回ることができず、他人から仕事を押し付けられがちだ。そのためか、他人から見下されていると思いこみ、他者に対して心を頑なに閉ざし、ときに攻撃的な感情を相手に向けている。
中盤で、他人から死ぬんじゃないか、と思われる気持ちがわかるか、というセリフがあるが、そこには主人公の自意識が仄見えるようで、興味深い。幾分コミュニケーション能力に欠けた彼女の行動は基本的に、そんな自意識に由来していると僕は思う。
そんな彼女に対して、やや異常だと感じる部分はあるが、僕も少なからず似た部分があるので、理解できなくはない。ただし共感はできそうにないが。
そんな彼女はテレビの中に、自分と似た相手を見つける。殺人犯でもあるその男こそ、自分の理解者だと思った彼女は徹底的に行動し、最後は男と結婚するに至る。
彼女の、理解者ができたという喜びと、自分は彼とだけ理解し合っていればいいという閉じた意識は、自己本位で、あまりに周りが見えていないという風に僕には映る。
実際、ものごとは主人公の思い通りに進まない。
男は彼女と出会ったことで、心に変化が起き、人を殺してしまったという意識に悩まされることとなるからだ。男も彼女と同様、人に理解されなくてもいいと思っているかもしれない。だが、本質的には強い男ではなく、他者を完全に拒絶することができない。
両者の思いのすれちがいが何とも皮肉だ。
だが女はそんな男の変化に気付こうとはしない。
後半で、女は留置所にいる男を相手にブランコに乗った話を無邪気にするシーンがある。僕はこのシーンを見たとき、この女性がかわいそうに見えてならなかった。
そのシーンは男と女のダイアローグのふりをしている。だが、手紙を書いているときと同じく、結局女のモノローグでしかない。
彼女は理解者ができたと思っているが、それは錯覚でしかない。彼女は誰にも理解してもらえていない。彼女は自己愛に溺れているだけで、理解者と思っていた男を、要は他人の存在をちゃんと理解してはいなかった。
その様子がそのシーンからありありと伝わってくるだけに、見ていてどこか痛々しいものがある。
しかしラストの刺殺シーンでの男の表情からして、少なくとも男にとって、女の自己愛の入り混じった愛情は救いになったのかもしれない。人生や人の心の関係というものはよくわからないものだ。
ラストの接吻は解釈がわかれそうだ(えっ、そっち? と思ってしまった)。
僕は、理解者はいないという絶望と、それでも誰かに理解してもらいたい、という意識から、弁護士と接吻したと思ったが、どうだろう。そしてその接吻こそ、いつかは彼女にも殺人犯の男のように、救いがもたらされることを示唆しているのかもしれない。
何かまとまりがなくなってしまったが、いろいろなことを考えさせられる力作であることは確かだ。個人的にはドツボの作品である。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
出演者の関連作品感想:
・豊川悦司出演作
「椿三十郎」(2007)
「日本沈没」
「フラガール」
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